なぜ今、「自然とともに生きる」ことが大切なのか? 【自然と生きる、わたしの選択 #01】

Release 2025.08.30 / Update 2025.09.01
最近、こんなふうに感じることはありませんか?
昔よりも夏の暑さが体にこたえる、季節があっという間に過ぎていく、空模様が急に変わって不安になる…。
ニュースで流れる災害の映像を見て、「もし自分の街だったら」と胸がざわつく。
便利さに助けられているはずなのに、心はどこか落ち着かない。
もしかしたらそれは、わたしたちが自然から少し離れすぎてしまったことへのサインなのかもしれません。
INDEX
地球がわたしたちに問いかけていること
ここ数年、わたしたちは日常の中で少しずつ、不安や違和感を感じる場面が増えてきました。
たとえば、夏の暑さが子どもの頃とは比べものにならないほど厳しくなってきたと感じたり、急に空が暗くなり、あっという間に激しい雨が降り出して不安に駆られたり、冬なのに雪が降らない、あるいは逆に大雪に見舞われて戸惑うなど…。
ニュースを見れば、地震や台風、山火事や洪水。
それはもはや「遠い国の出来事」ではありません。
すでに私たちの日常を揺さぶり、暮らしや心に大きな影響を与えています。
野菜や果物が値上がりして家計に響いていたり、電気代やガス代が急に上がっていたりもします。
大雨で通勤や通学の電車が止まって予定が大きく狂うこともあります。
道路や橋が壊れて物流が滞り、当たり前に手に入っていたものが届かなくなる…なんて事もあるかもしれません。
こうした出来事は、もう「どこかで起きていること」ではなく、私たち自身の暮らしのすぐ隣に迫っています。
だからこそ、目を背けるのではなく、真剣に向き合う必要があると思うのです。
そして同時に、思い出してほしいのです。
自然は私たちを脅かす存在であると同時に、支え、生かし、癒してくれる存在でもあるということ。
自然とともに生きるという選択は、決して後ろ向きな我慢ではなく、むしろ未来をひらくための希望の道なのです。
なぜ今「ともに生きる」ことが必要なの?
むかしの人々にとって、自然とともに生きることは選択ではありませんでした。
それはただ、生きるために必要なこと。
朝日とともに起き、日が沈めば眠る。夜の暗さや月の満ち欠けも、そのまま暮らしのリズムになっていました。
月はただの夜空の飾りではなく、暮らしを導く目印でした。
「新月には種をまけばよく育つ」
「満月の収穫は豊かになる」
そんな知恵が祈りとともに受け継がれ、十五夜にはお団子を供えて月に感謝をささげました。
春になれば、田植え前に豊作を祈る祭りがあり、節分には豆をまいて邪気を払い、季節の境目を整えました。
夏には七夕に星に願いを託し、川に笹飾りを流して水の神に感謝を捧げました。
暑さを鎮めるための夏祭りも各地で行われ、人々は自然なかたちで調和を願いました。
秋には収穫を喜び、五穀豊穣を祝う祭りが開かれました。
月を見上げ、豊作を神に感謝するのも秋の大切な習わしでした。
冬にはお正月を迎え、一年の実りを振り返り、新しい年の無事を祈りました。
暮れには厄を祓い清め、お盆にはご先祖を迎えて命のつながりを思い出しました。
こうした行事は、ただの「楽しみ」や「イベント」ではなく、自然のリズムとともに暮らすための大切な節目だったのです。
食べ物もまた、自然とともにあります。
春は山菜、夏は畑の野菜、秋は実りの穀物や木の実、冬は漬物や干物。
その土地、その季節に採れるものがそのまま食卓となり、心と体を支えるリズムになっていたのです。
火や水も暮らしの中心でした。
薪を割って火をおこし、井戸や川に水を汲みに行く。
恵みを受ければ感謝し、嵐やかんばつに見舞われれば祈りを捧げる。
自然は「おそれる存在」であると同時に、「生かしてくれる存在」でもありました。
一方で、今の私たちはどうでしょうか。
朝はスマホのアラームに起こされ、夜は蛍光灯やスマホの光に囲まれ、季節を問わず同じ食べ物を口にします。
水も火もボタンひとつで操れるようになり、便利さの中で「自然に合わせる」という感覚は少しずつ失われていきました。
その結果、心や体のリズムが乱れ、不安や孤独を感じやすくなり、地球のバランスまでもが崩れています。
だからこそ今こそ、思い出す必要があります。
自然とともに生きることは、昔の人にとって命をつなぐ知恵であり、現代の私たちにとっては心を取り戻すための道しるべなのだということを。
今日からできる、「自然とともに生きる」やさしい実践
自然とつながることは、決してむずかしいことではありません。
山にこもる必要もなければ、特別な時間をつくる必要もありません。
疲れていても、忙しくても、日常のすぐそばに自然はあるのです。
大地に身をゆだねる時間
仕事や家事でヘトヘトになった日、温泉や銭湯に入ると、湯気とともに体の重さがすっと抜けていきます。
地下から湧くお湯には、その土地ごとの鉱物や成分が溶け込み、大地の力をそのまま受け取れるからです。
昔の人が「湯治」に通ったのも、体と心を整える知恵だったのです。
もし遠出ができなくても、近所の公園で木の下に腰を下ろしてみるだけで十分。
土や草の上に体をあずけると、体にたまった緊張やストレスが抜けていく感覚があります。
これを「グラウンディング」と呼び、実際に呼吸が深くなったり、夜の眠りが安らかになったりする人も多いのです。
手でふれる自然のやさしさ
私たちの手や足は、とても敏感なセンサーです。
だからこそ、自然のものに直接ふれると、思っている以上に体と心に深く響きます。
道端の石を手にとって、その冷たさや重みを感じると、「わたしはいま大地とつながっている」という確かな実感がわいてきます。
木の幹に手を当てれば、ざらざらとした樹皮の感触や、長い時間を生きてきた木の静かな存在感が伝わってきます。
花びらのやわらかさや葉っぱの香りに気づく瞬間、心がすっとほどけていきます。
そして、芝生に裸足で立つこと。
これは「アーシング(グラウンディング)」と呼ばれています。
足の裏から直接大地に触れることで、体にたまった余分な静電気が地面に流れ、代わりに地球の安定したリズムとつながるといわれています。
実際にアーシングをすると、呼吸が自然に深まり、頭の中のざわざわが落ち着いて、夜に眠りやすくなる人もいます。
つまり自然に触れることは、心を癒すだけでなく、「体のバランスを取り戻すための 本能的な知恵」でもあるのです。
食べもので季節をいただく
旬の食べものをいただくことは、自然のリズムを体に取り入れる一番やさしい方法です。
春は芽吹いた山菜や新じゃが、新玉ねぎ。
苦みや香りのあるものは「冬にため込んだものを出す」手助けをしてくれます。
夏はトマトやきゅうり、ナス、西瓜など。
水分をたっぷり含んだ野菜や果物が体を冷やし、強い日差しから守ってくれます。
秋は、さつまいもや栗、新米やきのこ。
土の力を宿したものが、体を養い、冬に備える力をくれます。
冬は、大根や白菜、根菜や漬物。
寒さの中でゆっくり育った食べものは、体を芯から温め、エネルギーを蓄える助けになります。
「今日はスーパーで季節の棚からひとつ選んでみよう」
それだけで十分です。
小さな食卓の選択が、自然のリズムを体に届けてくれるのです。
肌にふれるものを自然に
私たちの体は、1日の大半を「布」に包まれて過ごしています。
だからこそ、肌にふれるものをどんな素材にするかは、とても大切なこと。
綿(コットン)は、やわらかく吸水性が高いため、汗をすっと吸ってくれます。
夏でも肌がべたつきにくく、清潔に保てるのでおすすめです。
また静電気が起きにくいので、肌が敏感な人や子どもにも安心です。
やさしく包みこまれる感覚は、「守られている」という安心感を与えてくれます。
麻(リネン・ヘンプ)は、通気性が良く乾きやすいのが特徴。
夏は涼しく、冬は繊維に空気を含んで暖かい。
さらに丈夫で長持ちし、使い込むほどやわらかくなるので「物を大切に長く使う」暮らしにもつながります。
古代から神事に使われてきたのも、麻が持つ清らかさや浄化の力を人々が感じ取っていたからでしょう。
自然素材は、化学繊維と違って土に還りやすいという良さもあります。
自分にやさしいものは、地球にとってもやさしいのです。
一枚を自然素材に変えることはファッションの選択ではなく、自分と自然をつなぎ直す選択でもあります。
自然とともに生きることは、「わたし自身」を大切にすること
地球を守るために、大きなことをしなくてもいいのです。
「環境のために何か立派な行動をしなきゃ」と気負わなくても大丈夫。
まずは、今日の自分の暮らしを、少しだけやさしくすることから始めてみてください。
疲れたときに公園で深呼吸をする。
石や葉っぱを手にとって感触を味わう。
今日の食卓に旬の野菜をひとつ加える。
そんなささやかな一歩が、あなたの心をやわらかく、体を軽くし、自然との調和を少しずつ取り戻していきます。
そしてその感覚は、きっと次の人へ伝わっていきます。
家族へ、友人へ、そしてまだ見ぬ未来の子どもたちへ。
やさしさは循環し、広がり、つながっていきます。
自然とともに生きることは、地球を大切にすることでもあります。
でもその前に、なにより 「自分自身を大切にすること」なのです。
自分の心と体をいたわり、安心できる時間を持つこと。
それが自然とともに生きるということ。
そして、そのやさしさが巡り巡って、地球や未来の命を支える力になっていきます。
最後に、静かに目を閉じて心のなかでつぶやいてみてください。
「ありがとう、地球」
「いま生かされていること、そのものが奇跡です」
その小さな祈りは、必ず地球へ届きます。
そして同時に、あなた自身の中にもやさしい光となって広がっていくでしょう。